はじめに
初めに私はアドラー心理学が好きではありません。なので気分を害されるような表現や、批判的な意見が多いことを初めにご了承ください。
「嫌われる勇気」という青い本が流行り、アドラー心理学が広まりました。それにともないアドラー心理学関連の本が流行りに乗ろうと沢山発売されました。
私は2018年末辺りまでアドラー心理学については一切認知していませんでしたが、本屋でこの本の存在を知って、アドラー心理学について調べました。ですが、どうも納得できないことが多く、どうしてこんなものが流行ったのか理解できませんでした。
共感できる部分もあるのですが、それより気になったのが圧倒的な肯定的な意見の数でした。本のレビューの中には、アドラー心理学を信じ切っているようなものも多く見かけました。私はこれにゾッとしました。こんな心理学が世の常識になったら、世の中が世紀末状態になると思ったからです。
冗談です。ちょっと言いすぎました。でもゾッとしたのは本当です。というわけで今回は、私が考える「アドラー心理学の危険性」について思うことを語っていきたいと思います。
科学的根拠なし!さらに何年前の理論だよ。理論ともいえないけど
まずアドラー心理学には明確な科学的根拠がありません。あの青い本にも「アドラーはこう考えた」という体の文が多すぎます。いやまず根拠をしめせよと。しかしどこにも書かれていないんですよね。意味不明です。特に実験もせず人の心を分かった気になっているアドラーは神かなにかなのでしょうか?
いや言い切っているのはもしかしたらアドラーではなくアドラー心理学の本を書いている現代の著者さんなのかもしれません。そもそも科学的根拠があっても絶対など存在しないのが心理学です。
しかもアドラーって100年以上前の人間です。今ですら人に関する心と体の研究は完全に解明されていないのに、あの自信満々にこの世の理のすべてを語るような感じはなんなのでしょうか?
よくアドラー心理学では「○○は存在しない」とか「アドラー心理学ではこうである」というようなアドラー心理学が絶対的なのだというような文を見ますが、せめて同時に、科学的根拠くらいは示して欲しいものです。
アドラー心理学は心理学というより思想や自己啓発いった方が的確
アドラー心理学は心理学とはとても言えません。科学や学問は可能な限り理論や根拠があって示されるものだからです。仮に分類するなら、考え方・思想・哲学・自己啓発と言った方がしっくりきます。少し過激に捉えれば、宗教のように見えてしまう事もあります。
アドラー心理学が嫌いと言いましたが、考え方や哲学としてなら多少納得できる部分はあるし、私も一部似たような考え方を持っています(ただし同じ結果に至るまでの思考の過程は違う事が多いので、同列扱いされたくはないが)。ただ世の中では心理学として広く認知されてしまっているのが問題です。心理学だから言ってる事は全て正しいと思い込んでしまう可能性があるからです。
アドラー心理学についての本や動画での伝え方にも問題があると思います。心理学には絶対はないのに言い切ってしまうような言葉選びが多用されていますからね。そりゃ勘違いする人が増えるのも当たり前です。
青い本の著者も、アドラー心理学は勘違いされやすいとか発言してますしね。いやいや、なら勘違いされないような書き方をしろよと。少なくとも私には、あの本が勘違いを解消するような努力をしているようには感じられませんでした。
そもそも過去に囚われても仕方ない。”今”が大事。ということは、アドラー心理学に頼らなくても誰でも気づきうる可能性のあるものなのに、心理学とはこれいかにって感じです。だったら私も自力で今が大事ということに気付いたので、これに「ぐみん心理学」という名前をつけていいですか?もしダメならなぜアドラー心理学は心理学として通るのでしょうか?不思議でなりません。
トラウマの否定の危険性
アドラー心理学ではトラウマは存在しないと語ります。これを信じ込んでいる人も多いです。しかし残念ながらトラウマはあります。科学的に証明もされている。なぜアドラー(もしくはアドラー本の著者)はないと言い切り、それを一部の人はたやすく信じてしまうのでしょうか。
アドラー心理学では心の病気を一蹴している記述が多いですが、現代では心の病気は脳の病気であるということが分かっています。
私たちが心の病気と呼んでいるものは脳にダメージ、つまり脳がケガをしている状態なのです。心の病気は目に見えないので、精神的な問題、気の持ちようだと思いがちですが、しっかり脳は傷ついているのです。
アドラー心理学でトラウマが存在しないと安易に信じている人は、残念ながらただの勉強不足という事になります。
いわばずっと根性論を信じている昔の人のようなものです。古い考えの体育教師が未だに、「水を飲むのは甘え」って言ってるのと変わりません。
アドラーはトラウマを否定してない?
一応アドラー自身はトラウマを否定していない説もありますので、そっちにも軽く言及しておこうと思います。でも実際問題アドラー心理学に感化されて、トラウマは存在しない、あなた自身の問題だと考える人は多いです。
ではどうしてアドラー心理学ではトラウマは存在しないという説が広まったのでしょうか。
アドラー心理学が勘違いしやすい学問だったとして、トラウマの否定を本来してないものだったとするなら、そう勘違いされないように、アドラー心理学に関する本や動画は、説明努力をしないといけません。
しかし多くのアドラー関連本はその努力をしていません。補足説明もなしに「トラウマは存在しない」と断言しちゃってますからね。しかもアドラーがそういっていたかのように演出します。
百年後の未来でまさかそんな風に解釈されるなんて、もしかしたらアドラー自身が一番驚いてるかもしれません。
アドラーはもしかしたら、目の前の患者を助ける為に、その言葉に科学的根拠はなくても「君なら出来るよ」と、患者を励まそうとしただけかもしれません。それを現代人がさも完璧な理論のように取り上げて、多くの人を無意識に騙してしまっているのだとしたら…。
まあ今のはただの想像で、アドラーもこの世にはもう存在しないので、何が真実か確認のしようもないですけどね。
アドラーは一休さんである
ここで私もひとつ持論を伝えたいと思います。
アドラー心理学ではたとえ話が良く出てきます。そして多くの人がそのたとえ話に納得します。私はそのたとえ話が上手いなと思いました。しかし同時にこうも思いました。そのたとえ話は科学的根拠がなく、ただの言葉遊びだと。要はただの屁理屈・とんちなんです。いわば一休さんのようなものです。
看板「このはしわたるべからず」
一休さん「じゃあ俺は端ではなく真ん中渡るわ」
私「いや言葉遊びは上手いけど、それただの屁理屈やん!」
このような感覚と全く同じ印象を私はうけました。実際、アドラー心理学の例え話は穴だらけなので少し例に出しましょう。
同じ辛い過去を経験した全員が引きこもったり病気になったりするわけではない。
これはアドラー心理学でトラウマを否定する時にありがちな説明文です。一見納得できる。正しいように見えてしまいますが、冷静に考えれば当たり前の話です。
同じ食事をとったからって同じ体型になったりしますか?しませんよね?なぜなら人によって代謝は違うからです。
学校の体育の授業で全員が同じだけ走ったとして皆同じように疲れたりするでしょうか?違いますよね。ものすごく息切れする人や、汗1つかかず全然平気な人もいます。なぜなら人によって体格や身体能力は異なるからです。
心の傷の度合いもこれと一緒です。同じ辛い経験をしたからと言って全く同じ傷がつくわけではないのです。運よく浅いキズで済む人もいれば、深いキズを受けてしまう人もいるわけです。
原因だけ伝えて治してくれない医者
もうひとつ例を出しましょう。あなたは熱が出たので病院に行き、診察を受けています。一通り診察が終わった医者があなたに伝えます。
「これは風邪ですね。喉が腫れたせいでしょう」
あなたは「そうですか」と言い、医者はそれ以降何も語ろうとしません。
長い沈黙の後、医者は「次の人ー」と言葉を出します。
あなたはこうツッコミます。
「いや治せよ!」
これもアドラー心理学を説明する時にありがちなパターンです。原因は重要じゃない。大事なのは治すという事なのだから。原因はおいといて風邪を治す方法を教えましょうと。
でも冷静に考えてください。普通原因を伝えてそれではい終わりなんてする医者はいません。つまり最初からすでに例題としては崩壊しています。
それに原因が分かったからこそ、どう対策すべきか、どういった薬を処方するべきかが分かるはずなのです。
原因は重要です。そもそも原因と向き合わずに、その場しのぎの治療をしてもいずれ再発するだけ。だって原因が分からないと予防のしようもありませんからね。
アドラーは一休さんとして患者を救った?
昔は心の病の原因なんてものは分かりませんでした。科学技術が今とは全然発展してませんから。
ですからアドラーは、心に病を抱えている人のために「一休さん」として励ます事を選んだのかもしれません。その言葉に科学的根拠はなくても、結果的にその人が救われれば問題ないという考えですね。まあこれも私のただの想像に過ぎませんが。
アドラー心理学を他者に押し付けないで
アドラー心理学を使ってあなたの人生が良くなること自体は否定する気はありません。しかしもしあなたがアドラー心理学を妄信しているなら警告はさせて欲しいです。まず目的論で世の中のすべての事が説明できると思わないでください。
次に心理学って難しい学問です。それなのに素人がアドラー心理学(そもそも心理学ではない)を他人に振りまく行為は、言葉の凶器を振りかざす事そのものです。
迂闊に「トラウマは存在しない」という言葉を信じこみ、思考停止してアドラー心理学を他者に押し付ける行為は、本当にトラウマを抱えている人を追い込むことにつながりかねません。そういった危険性を常に考えておいて欲しいのです。
アドラー心理学は劇薬である
それとアドラー心理学は健康的な人じゃないと使えない劇薬です。場合によってはトラウマ等への認知を歪める事にもなりますから、健康的な人が使う場合でも、副作用のリスクが高い劇薬と言えるかもしれません。
副作用に影響されず、アドラー心理学を正しく利用するなら、それなりに高いレベルの心理学や脳科学への知識が必要だと私は思います。
トラウマや鬱を抱えている人へ
精神的疾患を持っている人は、アドラー心理学を絶対に真に受けてはいけません。なぜなら所詮アドラー心理学は考え方の一種にすぎず、トラウマや鬱などには明確な原因が存在するからです。
だからもしあなたが心の病の治療中なのであれば、あなたのペースでゆっくり治してください。アドラー心理学を誰かから教えられたり、アドラー関連の本を見つけて読んで知ったりしても、あなたが病気になったのはあなた自身のせいだと思い込む必要は全くありません。焦らなくていいのです。
まずは、自分をゆっくり休めてあげましょう。
さいごに
アドラー心理学をあなたがあなた自身の中で利用したりするのは悪いことだとは思いません。誰が何を信じようが最終的にはその人の自由ですから。
ただ出来る事なら、アドラー心理学だけで物事を考えるような事はしてほしくないのです。あくまで「こういう考えもある」程度にしておかないと、一種の思考停止状態に落ちる危険性があるからです。
「Aのような考え方もあればBのような考え方もあるよね」と、柔軟な発想をして欲しいのです。人の心や思考に絶対なんてものは存在しないのですから。
アドラー心理学の押し付けによって、不幸な人が増えない事を祈るばかりです。
PS.アドラー心理学は哲学だから、自分に合わないと思ったら切って捨てて良し。
9/27追記 どうしても私の言葉が信じられないって人は、メンタリストDaiGoさんがトラウマについて詳しく解説してるので、そちらの動画も見てみてください。
コメント
こんにちわ
私はあなたの嫌いなアドラー心理学を利用しているものです。
ですが。。。うん。確かに、危険や嘘っぱちと言われるのも納得しちゃってます。
嫌われる勇気という本に対して、アドラー心理学を多くの人に知ってもらうことにはいい手だったかもしれないけど、アドラー心理学を誤解しないように知ってもらうという点では、もう少し良いやり方もあったんじゃないのかなぁと私は思っています。
正直、あなたのおっしゃることには一部賛成なんですよね。アドラー心理学はさておき、嫌われる勇気は危険というのには否定できません。
どんな特効薬でも量を間違えれば毒になるのですから。嫌われる勇気は量を間違えてしまっているように私には思えます。
(誤解は説明不足が元なんだから量は少ないだろって?それは言わないお約束)
さて、アドラーが好きな私がコメントをどうして書いたかといいますと、アドラー心理学自体を否定されるのはちょっと寂しいなぁって思ったのですよ。
これはただの憶測で、間違えてたら大変失礼ですから申し訳ないのですが。。。ぐみんさんは「嫌われる勇気のみ、もしくは、わかりやすさを重視した専門的ではないアドラー心理学の本を重点的に読んだ」のかなぁって思ったんですよ。見当違いだったら、ごめんなさいね。
それで、もしアドラー心理学を否定するのであれば
・アドラー心理学の基礎
・アドラー臨床心理学入門
・現代アドラー心理学
・3最からのアドラー式子育て術「パセージ」
・クラスはよみがえる
といった専門的な本もよかったら読んでみてほしいなぁって思ったんですよ。
(これらの本もなかなか誤解されそうな部分がありますが。。。だからこそいろんな本を読んでご自身で信じられるアドラー心理学の理論・技術・思想を選び取る必要があるかもしれないです。)
また、嫌われる勇気の内容に対しての批判であれば、アドラー心理学を否定するのではなく嫌われる勇気を否定してほしいなぁともお願いしたく思ったんです。
もし、ぐみんさんが私に「アドラー心理学はこんなことを主張してると私は思っているから、ぐみんさんのその指摘は誤解かもよ?」と話させてくれる機会をいただけるなら、ぜひお話したいです。
一応ですが、最初にも書かせて頂いたとおり、嫌われる勇気の批評としては私はこの記事、的確に指摘されていると思っています。もし、そこを誤解させてしまっていたらごめんなさいね。
長文失礼しました。
わざわざ丁寧なコメントありがとうございます。興味があればおすすめされた本に触れる機会もあるかもしれません。
おっしゃるとおり、文章構成も含めて嫌われる勇気という本はとても嫌いですが、日本に広まっているアドラー心理学もやはり嫌いですね。
最近ではアドラー式子育てやアドラー式の仕事術とかにも疑問をもっています。
ただ、昔と今じゃアドラー心理学への解釈は変っている部分もあるのですが、哲学として根本的に目的論とか共同体感覚とかが肌に合わないので嫌いなのは仕方ないですね。
まあ考え方にも絶対はないので、そのうちまた考え方も変わるかもしれません。一応アドラー心理学について知った時自分なりに調べて、嫌われる勇気以外でアドラー心理学やアドラーについて知った上で今の考えに至っています。
正しいかは別として、考え方的には原因論やポパーの反証可能性とかの方が好みなんですよね。
まあ調べた上でもまだまだ解釈違いとかはあるでしょうが、そもそもが哲学に正解はありませんしね。ただあくまで世間一般的に広まっているアドラー心理学は全て真実のように語っている為、とても危険性を孕んでいるという話なので、タイトルは間違っているとは言えないかなと思ってます。
今のアドラー心理学って1+1の答えは2ですが、世の中の99%が3と答えたら3になる的な、いわゆる集団心理が真実を作っている感じだとは思います。少なくとも日本で広まっているアドラー心理学は嫌われる勇気がベースになっている状態ですから。
アドラー心理学に関係する動画やウェブページもほとんどが嫌われる勇気をベースにしていますから、もうそっちが真実になっちゃってる感じはしますよね。まあぶっちゃけその方がアクセス数とか稼げるからでしょうね。だからせめて誤解がないように解説くらいしっかりして欲しいと思うし、ちゃんとした勉強必要だよねって言ってるわけです。なのでやはり(日本で広まっている)アドラー心理学は嫌いです。
もちろんアドラー派さんはアドラー心理学で人生が豊かになっているのは良いと思いますし、私は私の考えや気に入った哲学や生き方で生きていくだけなのです。
求められている回答になっているかは分かりませんが、文章が長くなってきたし、細かく私の考えを述べているとキリがないので、この辺で終わりにしたいと思います。
こちらこそ、親切丁寧に返信してくださり、嬉しい限りです。
なるほど。ぐみんさんの「(日本で広まっている)アドラー心理学は嫌い」というお気持ち、とても理解できます。アドラー心理学が好きだからといっても、昨今、日本で流行っているアドラー心理学が好きかと問われると、Noと私は思っていますから。
そして、私も日本では「アドラー心理学=嫌われる勇気」という考えが流行っているということを思っていますし、それに対して勉強不足なのでは?という危惧もしています。
ですから、多くの人に「嫌われる勇気は危険だ」と伝えるために「アドラー心理学は危険だ」ということは、1つの効果的な策だと私も思います。
ですが、私には、この記事を読んだ人が「アドラー心理学は悪いものだ」と受け取り、有益なアドラー心理学の一面を学ぶ気持ちを機会を失ってしまうのでは?という気持ちがありました。
そして「もっといい方法はあるんじゃないのか?」「日本で広まっているアドラー心理学を否定し、世界で有効活用されているアドラー心理学を否定しない。そんな誤解を生まない良い手が何かあるんじゃないのか?」と思い、あのような提案をさせていただきました。そして一緒に協力してその方法を考えたいと思っていただけなのです。
さて、1つ、気になることがあります。ぐみんさんの「私は私の考えや気に入った哲学や生き方で生きていくだけなのです。」というところです。
もし、私がぐみんさんの生き方を否定しているように感じられたら、ごめんなさい。そんなつもりはないのです。自分のコメントを読み返すとそこら辺の配慮がかけていたかなと思っています。ぐみんさんにアドラー心理学を押しつける気も好きになってほしいという気持ちもないのです。
前述したとおり、私は「ぐみんさんのこの記事を読んだ誰かが、日本で広まっているアドラー心理学だけじゃなく、アドラー心理学自体が危険なものだと誤解しちゃったら、寂しいな。」と思っただけなのです。
ぐみんさんは「日本で広まっている(誤解され曲解された)アドラー心理学は危険だ」と言いたいのだろうと思っています。
そして、私は本当のアドラー心理学を誤解せずに学んでほしいと思っています。(本当のというのも変な感じがしますが。。)
おそらく、私もぐみんさんも、主張したいこと、目指したいことは、根本的に同じなんじゃないかなと感じています。
ですから、どうか、攻撃されているかのような不愉快な思いをさせたのなら、ごめんなさいね。
ぐみんさんのお考えが聞けて私は楽しかったです。返信していただきありがとうございました。
実の親からの性的虐待で重度のトラウマPTSDをかかえ治療中の者です。
最近にアドラー心理学を根拠にトラウマは甘えと持論を展開する人を何度も見かけ
その度に心を痛めていましたが、ぐみんさんのお陰で
心に刺さった棘が取れたような気分です本当に有難うございます。
本人にしか分からないつらい体験を、非化学的な根拠で甘えだと理解されないのは辛いですよね。
これからも同じように理解されないシーンに遭遇することもあるかと思います。
でもこの記事を見たことで、わずかでも心が晴れたり、理解されない事に対して、心へのダメージが軽減されたり、スルーできるようになるキッカケになれば嬉しいです。
コメントありがとうございました。
少なくなくとも、アドラーを肯定する人がいるならば、よほどの病的な疾患でなければ改善が見られるということではないですか?
本当の精神病には効かないなら、アドラーに頼らずともまた別の治療をすればいいはずですよね。
確かに、処方された薬が違ったら怒るのは分かります。
ただ、アドラーの本を読んだのはご自身の意思であり、その内容が思わしくなかったからといって頭おかしい人そのものとかいっちゃうのはどうなのかと。
いったい誰に押し付けられたというのですか?
また宗教の一種という表現も気になります。
多少なりとも共感するの事があるのならば、もう少し穏やかな表現にしていただけませんでしょうか?
また、アドラーの本を読まない以外で、私達の普遍的な悩みを解決する方法があれば、ぜひご教授ください。
もちろん、出来ないなら、別にいいです。
しかし、お分かりかと思いますが、こういう事を書かれるという事は、私のような面倒くさいコメントも引き受けるということですよね。
返信も求めませんので、ただ私も思った事を書いた次第です。
ご失礼ございましたら、申し訳ございません。
確かに、自分にアドラーが合わないからとそれをむやみに非難するのは違いますね。
当時は思った事を感情が高ぶったまま、自分が思ったままに書いてしまったので、
過度すぎる攻撃的な文章はできるだけ控え、修正していきたいと思います。
ただ、嫌いなものは嫌いですので、文章にある程度感情は乗ってしまいますし、批判的な発言をする以上、誰もが納得する表現にはならないとは思います。
思った事を書いただけで、冷静な反論や分析をしたりする記事のつもりはないですから。
悩みの解決についてはテーマにしてないですし、普遍的な悩みというのがあまりにも範囲が広すぎるので答えられないです。
強いて言うなら「人それぞれ対処法は違う」ですね。
なのでアドラーで悩みが解決したりする人もいるならそれでいいとは思います。
ただ一部の人が間違った知識を覚えて、それを押し付けてくるので、それはやめてねって話ですし、
アドラーと似たような考え方を手に入れるのに、わざわざアドラー心理学を使う必要もないとは思います。
もっと科学的な根拠に基づいた哲学や心理学はいっぱい存在するので。
もしトラウマなどへの正しい知識を持ったうえで、適材適所にアドラー心理学を上手く使っている人がいるならそれは良い事だとは思います。
ただ最後の面倒うんぬんのくだりはよく分かりませんでした。この一言自体がすごく面倒に感じたので、そのせいでコメントの承認や返信するか迷いました。
あなた自身が思ったことなんですから、そんな事をいちいち言う必要ないと思いますよ。もっと堂々と意見されれば良いと思います。
アドラー心理学では、他人の課題に踏み込まないとして、他人に自己責任を問うてはいけないと岸見先生も言われています。
ただ、アドラー心理学の信奉者は口にしないだけで、「だからお前は幸せになれないんだ」と考えていると思います。
幸せになる真理を知った傲慢さ、幸せになる真理を知らないあるいは知ろうとしない愚者に対する侮蔑を感じます。
「それは劣等コンプレックスに過ぎません」と言われてしまうんでしょうけど。
自己責任を問うてはいけないのに、トラウマを抱えている人に
「トラウマはない」「ダメなのはあなた自身のせい」
と思考が流れる事があるのが、アドラー心理学の危うさといえますね。
まあ解説本や解説動画であれだけトラウマは存在しないって断言して、
トラウマの存在について補足説明を何もしてなかったら、そりゃ誰だって勘違いして当たり前って話ですね。
劣等コンプレックスなんていうのも、結局アドラーが作った言葉にすぎないので無視していいと思います。
劣等感で行動が出来なくなる原因については、学習性無力感について勉強したほうがよっぽど為になります。
知人にこの本を薦められて読んでみて、「トラウマは存在しない」という考え方にすごく引っかかっていましたが、あなたの「トラウマは科学的に証明されている。あなたのペースでゆっくり治していけばいい」の言葉に救われました。涙が出ました。心が少し軽くなりました。
ありがとうございます。
私が初めてアドラー心理学を知った時、ほんとうにトラウマで悩んでいる人を不幸にする可能性があると思いました。
私自身も本当に辛い時期があり、そのタイミングでアドラー心理学を知っていたら、自分を責めて立ち直れてなかった可能性もあったと思ってます。
ですから自分が思った事を発信するという理由だけでなく、誰かの助けになって欲しいという気持ちも込めて書いてました。
なのでこんな拙い記事でも、まろさんや、誰かの心が少しでも軽くなってくれたのなら嬉しいです。コメントありがとうございました。
ふつーの健康的な人に有用ならそれでいいんじゃないですかね?
必ずしも健康的じゃない人に配慮してやる必要もないでしょ
アドラー心理学に限らず、その人の中でだけ完結する分には勝手だと思いますが、それで他人を巻き込んで不幸な人が増えるのはよくないと思っております。
淘汰さんの理屈だと例えば、
階段は健康的な人にとっては普通に使えるんだから、足の不自由な人にわざわざバリアフリーを設置して配慮する必要もないでしょと言ってると変わらないと思います。
私は、健康的な人がアドラー心理学使えてるんだから、心の病気の人に配慮してやる必要はないでしょみたいなのは横暴だと思います。
もちろん私も何でもかんでも弱い人に配慮しろなんてほどの極論は思ってはおりません。
それに記事内でも触れてますが、心の病気やトラウマにはちゃんとした理由が存在します。それを存在しないというアドラー心理学はやはり良い物ではないと私は思います。
科学的根拠もないのに信じ込んで、他人を巻き込むのはどうなんだ?という警鐘を鳴らしたくて記事を書きました。その点ご理解いただけたらと思います。
アドラー心理学について私も、ぐみんさんと全く同じ意見です。身の回りに感化された人々が量産されていくのを確認しています。非常に危惧しています。
アドラーの教えを信じている人が、周りでどんどん増えていくのは怖いですよね
ネットでアドラー心理学について検索しても、危険性について語るサイトより、推進しているサイトの方が圧倒的に多いのは異常でしょう
もはや社会現象と化していて、この流れを止めるのは難しいんでしょうね。
せいぜい私達に出来るのは、本当に大切な人や自分自身を自衛する事くらいでしょう。
早く多くの人が間違いに気づいて、アドラー心理学で不幸な人が増えなくなるのを祈るばかりです